改めて「考える」という意味を考えさせられる - 考える技術・書く技術

 まだ1部と2部しか読んでいないのですが、改めて「考える」という意味を考えさせられます。

 例えばこんな物凄く抽象的な文言にイラっとさせられたことはありませんか?

 「チームとしての能力を高めるために、よりコミュニケーションを意識することによって情報共有を進める必要がある」

 これはグループワークのワークショップを受けたときに出てきた言葉なのですが、正直凄くイラっときたのを覚えています。たしかに課題としては情報共有が挙がっていたのです。しかし、「では情報共有ができている、とはどんな状態なのか?」というところまで突っ込んで話を進めるべきところで、いきなり5段階ぐらい上へと抽象化されては困ります。更に、ここで言うコミュニケーションとは、そもそもタスクを完全に分担していたために完成タスクに対するチェック機能が働かず、それゆえ不完全な成果物を提出する羽目になってしまいチームとしての評価が最低ランクに落ち込んでしまっていた状況に対しての回答なのですが、それをコミュニケーションという言葉であらわすことによって問題を「見えない化」している点も気になります。

 まとめとは問題を見えない化してわかったような気になるためのものではありません。このようなまとめを本書では「白紙の主張」と呼んでいます。

 これが適切な要約となるために、簡単な方法としては実際に自分がその主張を読んで行動できるかどうかを考えます。上記の例で言えば、問題は不完全な成果物を提出してしまうことだったのですから、

 「不完全な成果物の提出を防ぐためには、タスクに対してのチェック項目をチームで共有できるような仕組みを作り、完成タスクのチェックをチームメイトと共同で行えるようにする必要がある」(それで何をするべきなのか?→タスクに取り掛かる前にタスクの内容を理解しチェック項目を作成する...等)

といった具合になります。

 このような内容について、本書は古典と言われるだけあって丁寧に言及しているのが面白いです。特に、問題のグルーピングだけではなく、グルーピングした結果何が言えるのかについて丁寧に言及している点に好感が持てます。テクニックだけではなく、物事を考えるベースを求めている人にお勧めです。

考える技術・書く技術―問題解決力を伸ばすピラミッド原則

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